限りある時間の使い方

著者: オリバー・バークマン

翻訳: 高橋璃子

概要


人間は、時間に追われている。そのために、人間は生産性(効率)を上げて、実質的な時間を長くすることを考えて日々を動いている。しかし、その生産性を上げたからと言って、実は実質的な時間を長くすることはできない。なぜなら、生産性を上げてできた実質的な時間は、他の作業を行う時間へと変貌するためである。そのため、我々人間が行うべきことは、その自分がやらなければならない作業というのを自分のやりたいことなどと吟味して、諦める選択をとり続けることである。それが、限りある時間の使い方である。というのが、この著作の概要である。その選択を取るために、色々な現実をこの著作では見せつけてくるというものである。

パートごとの要約


今回の、「限りある時間の使い方」は前半のPART1「現実を直視する」と後半のPART2「幻想を手放す」の2パート構成で話が展開されている。PARTごとに、6つの章に分かれているため、前半と後半のパートで分けて要約をしていこうと考える。

PART 1: 現実を直視する

この章では、「時間がある」ということを疑い、その考えから脱却し自分のやりたいことなどを選択していくことを順序を込めて説明していた。まず前提として、大昔から人間は、「時間」に追われているという感覚があったのだろうか?そして、「時間がある」ということとは、どのようなことを指すのか?そして、最後に「時間がある」ことに対して疑い、その考えから脱却して、自分のやりたいことを選択していく。という話の流れになっていました。その話の流れを、以下に表していこうと考えている。

昔の人間は、「時間」に追われていた?

昔の人間は、時間に追われていたのだろうか?その答えは、NOだろう。なぜなら、現代のような時計は一般的な家庭には存在せず、太陽が昇れば起床し、太陽が沈めば就寝する。このような生活が基本となっていたと考えられる昔の人間の生活では、時間に追われることはないだろう。現代に生きる人間と比較して、こなす仕事をタスクとして捉えていないため、時間に追われていなかったと考えられる。このようなことが、原因で昔の人間は、生活としては楽なものではなかったが、「時間」に追われているという認識はなかっただろうと考えられる。次は、なぜ人間が「時間」に追われるようになったかについて話していこう。

なぜ人間は「時間」に追われるようになった?

一つ前の部で、昔の人間は「時間」に追われてはいなかったということを説明した。ここからは、なぜ人間が「時間」に追われるようになったかを著作から、要約して説明する。結論から話をすると、産業革命が原因であると著者は考えている。産業革命では、多くの人間を工場での仕事に従事させることで、大量生産を可能にしていた。その労働力である、人間に対してどのようにして仕事をさせるかを考えた際に、昔の人間がしようしていた賃金の尺度の「歩合制」では、推し量ることができなくなったため、「時間」という一つの単位を用いることで、賃金を払い労働を強いていた。これが、人間と「時間」の間にできた初めてのつながりである。

「時間」があるとはどういうことだろうか?

ここまでの話を聞いていくと、「時間」がどのようなものであるかを理解することができたと思う。「時間」とは、人間に何かをしてもらう・させる・するための尺度である。では、「時間」があるとは一体どういうことを指しているのだろうか?現代に生きる我々の考える「時間がある」とは、自分の好きなことができる時間がある。ということを指すと考えている。そのために、自分のやらなくてはいけないタスクに対して、「生産性」を上げてより少ない「時間」で多くのタスクをこなし、実質的な自分の好きなことをする時間を作ろうとする(あるようにする)。ということだろう。しかし、この「時間」を作ろうとする行為は仕事や日常生活を送っていても、なかなか上手くいかない。

生産性を向上することで「時間」を作ることは可能か?

「時間」があるとはどういうことだろうか?の部分で話をしたように、「時間」を作るために、「生産性」を向上させることはあまり上手くいかないと考えられる。それは、生産性の罠にはまってしまっているからである。この罠というのは、生産性をあげることで相手からの信頼を受け取ってしまい、挙げ句の果てには、さらに多くの作業量を与えられてしまうためである。このことにより、生産性を上げることは、「時間」を作るためにはあまり良い方法ではないと考えられる。

全てのタスクを完璧には不可能

ここまでの内容を聞いていくと、どうすることでも「時間」を作ることは不可能なように感じてしまうだろう。しかし、「時間」を作ることは不可能ではない。「時間」を作るためには、時には自分のやるタスクを選択する必要がある。タスクの選択とは、同じ「時間」に別のことをすることが可能だったが同じ「時間」の中ではあるタスクの内容を行う選択をするということである。そのタスクの選択というのを、現代の人間は優先度の高いタスクから行うまたは、少ない時間で多くのことをこなせるものを行う傾向がある。その中で、人間はタスクを全て完璧にこなすことはできないということを理解することで、一旦は現実をみることとしよう。

PART2: 理想を捨てる

PART2では、PART1で記述されていた現実を見ることで、我々が抱いている「時間」は作り出せるという幻想を捨てるために、さまざまな視点から、「時間」は作り出せるものではなく、「時間」の中で自分がやりたいことを選択していくという考え方にする内容が記述されていた。

時間と戦っても勝ち目はない

「時間」と戦っても勝ち目はないことは自明でしょう。間接的に、生産性を上げることで「時間」の概念的な長さを長くすることは可能かもしれませんが、実際に概念である「時間」と戦っても勝ち目はないです。そのため、我々は「時間」と戦うのではなく、その流れに沿って生きるということをすればいいと考えています。

人生には「今」しか存在しない

将来のために、今というこの上なく貴重な「時間」を何かに注ぎ込むことがあります。これは、その「時間」を何かに注ぎ込むことの選択を自分でした人であるならば、問題はないと考えますが、タスク的な側面から強要されている場合、今注ぎ込んでいることは今しかできないことであり、また選択されなかったことは、今という「時間」でできた他のことを捨てているということである。そのような側面に気づくことで、タスク的な「時間」の捉え方について再度疑問を持つことができるかもしれない。

忙しさへの依存をなくす

現代の日本では、忙しいということがある種のステータスになってしまってはないだろうか。また、生きている中でも何もしていない「時間」で、焦りを感じてしまうことがあるかもしれない。しかし、それは周りや、「時間」を有効活用しなくてはならないという考え、要するにタスク的考えから来ていると考えている。そのため、忙しさというものに依存をなくすことで、本来の「時間」の有効活用の方法、もとい選択するという考えが根付くと考えられる。

時間をシェアすると豊かになれる

時間をシェアすることとは、タスク的考えからすると、自分のやりたいことができない「時間」、要するに損失と考えることが主であるだろう。確かに、タスクを行えなくなると考えると、「時間」の損失であることは間違いがないだろう。しかし、誰かと「時間」をシェアすることで、鬱的な症状が緩和されるなどのメリットも存在する、自分一人でやりたいことをやっているだけでは得られないものである。それらのメリットを受けてみると、「時間」とは独占できないなと感じる程度がより良い距離感なのかもしれないことに気づくかもしれない。

ちっぽけな自分を受け入れる

ちっぽけな自分を受け入れることは、「時間」の使いかたについて直接的な関係性はないだろうと考えられる。しかし、ちっぽけな自分を受け入れることで、タスク的な考え方を改めることにつながるだろうとは考えられる。自分一人では、あまりにも空想的で過度な期待をしてしまうことが多くあるかもしれないが、そのような空想を角において、現実を見ることでより経験値の多い、「時間」の効率の良い人生を過ごすことができるかもしれない。

以上が、この著作で書かれていた内容を筋道どうりで要約したものである。

まとめ


この本を読んでの感想

この本を読んで、タスク管理ソフトを使用することは生産性を上げることにつながるが、自分のために使用できる「時間」を作ることはできないことがわかりました。自分の場合は、かなり全ての依頼に対してかなり真摯に対応していたので、かなり自分のための「時間」を作ることが難しかったです。しかし、この本をよんでからは、できない依頼を諦めるようにする思考をつけました。(自分のための「時間」が欲しい時には諦める)。それをすることで、かなり心には余裕ができるように感じました。

おすすめ度(☆4)

自分にとっては、かなり新しい考え方をこの本からもらい、心が豊かになっていると感じたため。現代に生きる、忙しい人間で現実に少し悲観している人は読んでみて実践してみると良いかと思いました。

投稿者 marumoto tokito

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